豆腐根性

はたらくくるま @tfkjay

かかってこい2023

 あっという間に大晦日。毎年「つまらない生活を捨てろ」を掲げて生きてきたが、2022年はその言葉に行動が伴った実感がある。

 先月からひとり暮らしを始めた。大学時代ぶりである。実家を出るのは同棲・結婚もしくは転勤のタイミングだと思っていたが、いずれでもない。職場からの距離もたいして変わらない、実家から徒歩圏内の1Kを借りた。恋人とのふたり暮らしにずっと憧れていたが、実現不可能だと分かったことがきっかけだ。答えが出た以上断念するしかないのに、憧れを捨てきれずぐるぐる考えてしまう。次第に、実家を出たい気持ちが、ふたり暮らしへの憧れに変換されている部分もあるのではないかと思い始めた。己の欲望の解像度が低い。どっちが本当の気持ちなのか。分からなかったから、自分ひとりで実行できるひとり暮らしをやってみることにした。外的要因に迫られないと行動を起こせない性格だが、決意してからはエイヤ!の勢いでなんとかなった。部屋探しのタイミングで運良く希望のマンションに空きが出て、費用も会社で負担してもらえることになった。すべてが上手くいった。これは天の御導きか……。誰に言われたわけでもないのに、結婚か転勤でないと実家を出られないと勝手に決めつけていた。全然そんなことなかった。自分の思い込みで自分の欲望を押さえつけていた。

 たのしい生活を手に入れた。久しぶりのひとり暮らしを満喫している。学生時代と違って安定した収入があるので、毎晩お風呂にお湯をはれるし、特売じゃない肉も買える。自炊を再開してから、素敵な食器を集めたくなった。はじめての気持ちだ。ドラマ『作りたい女 食べたい女』を観た影響もある。作品内に出てくるおいしそうな料理が、素敵な食器に盛られてきらきらしていた。凝った料理でなくとも、調理中は料理のことで頭がいっぱいになって余計な考え事をしなくて済むのが料理の好きなところ。昔は洗い物を減らすために保存容器から直に食べていたが、今はきちんと食器に移し替えて食べている。その食器がかわいいと、食事がもっとうきうきするに違いない。

 

 自分の欲望をなめてかからず、いつも丁寧に向き合うことを怠らない。自分のことを雑に扱っていては、他人のことを大事にできない。エーリッヒ・フロム『愛するということ』を読んでから、人のことを愛したくて愛したくて仕方ない。ちゃんと相手のことを愛せているのか。そこに愛はあるんか。2023年も全力でやらさせてもらいます。

 

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新生活を機にヒヤシンス(右)とチューリップ(左)の水耕栽培を始めました。名前はまだ無い。すくすく育ってくれよな。

あのあたり このあたり

 野村萬斎×杉本博司 狂言公演「あのあたり このあたり」を観た。野村萬斎の古参ファンである母を喜ばせたくてチケットを取った。会場近くでランチを食べながら、M-1グランプリ大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の話をする。先月から大学時代ぶりのひとり暮らしを始めたので、母とゆっくり話すのは久々だった。たった1ヶ月会わなかっただけで一緒に暮らしていた時の距離感が掴めず、最寄駅まで歩く間は会話のペースを探りながら話した。母も同じように感じていたかは分からない。

 

 チケットを取ったものの、狂言に関する知識がゼロに等しい。開演してまず最初に狂言の説明と今日の演目「川上」「茸」の解説があったので、狂言と能の違いもよく分かっていない私にとってはありがたかった。解説トークの中で「おのう」という単語が出てきた。しばらく文字に変換できず言葉を理解できなかったが、文脈から察するに、能に接頭語をつけた「お能」だと分かって笑ってしまった。丁寧な言葉は面白い。肉眼で演者の細かい表情を捉えるのは難しい座席だったので、数年前、Kis-My-Ft2の公演のために買った双眼鏡を持ってくればよかった。でも狂言の鑑賞スタイルとして双眼鏡はアリなのか?ちょっと無粋な気もする。

 「茸」は、幼い頃にウッチャンナンチャンがバラエティー番組の企画で挑戦していたのを観た記憶がうっすら残っていた。舞台上を何人もの茸がちょろちょろ動き回る様子は、とてもおかしくて面白い。幼い時の私の受け止め方は「キノコの格好をした大人がわらわら動いててウケる」くらいのものだった。しかし、あれから随分成長した今、実際に見ると、動きのおかしさだけじゃなくて、そのおかしさを表現するための体の動きの凄さにまで想像が及ぶようになった。どれだけ練習すれば、歩くのに必要な最低限の部位以外は全くブレずに動き回れるのか。めちゃくちゃプロじゃん!すげぇ〜!とアホみたいに感心した。生で観なきゃ分からない、感じ取れないことって必ずある。ワケ分かんなくても、一回は自分の目で直に見る方がいいよなぁと改めて思った。お能もいつか観に行きたい。

 

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ドリンクチケット上限金額ギリギリを攻めるためのどデカベンティー。半日かけて飲んだ。

全身びちゃびちゃ

 今日はお休みだった。運動不足解消もかねて、昼食をとってから公民館まで3駅分歩いた。午後から雨予報が出ていたが、たいしたことないだろうと家を出る。しかし、歩き始めて5分ほどでぱらぱら降り始めて、あっという間にしっかりした雨粒になり、目的地へ到着する頃には雷が鳴るほどの大雨になった。靴下までびちゃびちゃ。一歩踏み出すごとに不快感。まあそういうこともある。

 ちょっと肌寒い日は、お風呂が気持ちいい。今朝、化粧水のボトルが空っぽになったので、バスタオルを体に巻いたまま急いで詰め替え用のパックを取り出す。無精をして、ボトルの口に詰め替えパックを逆さまに突っ込んで自立させ、あとは重力にまかせた。すると、あと少しで完了というタイミングで化粧水がボトルから溢れ出て、床にボタボタこぼれおちた。エリクシールの、決して安くはない化粧水が、床に。「んなああああん!!!!」と情けない声が出た。よく見ると、表面張力でもりあがったボトルの水面に乳液が浮いている。わたしは間違えて、乳液のボトルに化粧水の詰め替えパックをセットしていた。風呂上がり、裸眼、完全に確認不足。幸い、乳液のボトルも残りわずかの状態だったので、損失は抑えられた。床にぶちまけた分は雑巾でふき取ったが、洗面台上にこぼれた化粧水は手で丁寧にすくい取り、ボディにすりこんだ。エリクシールを全身にびちゃびちゃ塗りたくるとは、なんて贅沢なんだ。わたしが望んだものではなかったけれど。十分に保湿されたもちもちの腕で今、文章を打っている。

セーラームーンで例えろバカ

     テレビ朝日アメトーーク』の中学時代イケてない芸人~シーズンⅡ~を見る。シーズンⅡというからてっきり若い世代で構成されてると思っていたら、大半が初代のサバンナ・高橋と変わらない中堅芸人で、若手と言えるのは滝音・秋定さんくらいだった。それぞれのエピソードトークはおもしろかったが、新たな世代交代を楽しみにしていたので、やや期待はずれだった。

    世代によって、通ってきた流行りの作品や文化の違いは当然生まれる。『アメトーーク』を見ていると演者の多くが30~40代。演者とは世代も性別も異なるので、彼らが繰り出す漫画例えツッコミをあまり楽しめていない。職場の30,40代も、『ドラゴンボール』を読んでいる前提で例えツッコミをカマしてくる。その面白さを100%理解できないわたしは、曖昧に笑いながらも首を傾げてみせている。一応、こうして「そのネタ分からないです」とサインは送っている。しかし、同じような場面に何度も出くわすと、相手の笑わせたい対象に自分は入っていない寂しさを、精神状態が悪い時はちょっぴり怒りを覚える。

 

    ラランドのサーヤさんが『刃牙』で例えてきたニシダに「『セーラームーン』で例えろバカ」と怒っていて、いいねを100回押したくなった。(ただ、『セーラームーン』を履修していないので、男性にとっての『刃牙』『ドラゴンボール』あたりに相当する作品として妥当なのかはよく分からない)わたしは思春期の頃に少年漫画を読んでいたので、刺さる作品の差は世代のズレだけだ。しかし、そもそも少年漫画を読む経験がなければ、(男性比率が高い)芸人が繰り出す(少年・青年)漫画例えツッコミのほとんどが理解できないと思う。そう考えると、やっぱり腹立っちゃうな。

    漫画例えツッコミの面白さを理解できる側に立てた時の気持ちよさはよく分かる。同世代である佐伯ポインティのYouTubeチャンネル『佐伯ポインティのwaidanTV』の動画内で度々出てくるジャンプ作品を踏まえたツッコミは、毎度刺さって笑ってしまう。ツッコミそのものの面白さと、「そのネタ分かるで!!!」という優越感のようなもの。これからは全員、BLEACHとHUNTER × HUNTERとテニスの王子様で例えてくれ。

因縁の青チャート

    朝夜は涼しくなり、セミはいなくなり、代わりにトンボが飛びはじめた。今月28歳になった。年々、季節の移ろいに敏感になっている。ついタンクトップのまま寝てしまい、夜中に体の冷えで目が覚める。急いで毛布をたぐり寄せてくるまるが、冷感ひんやり毛布なのであたたかくない。季節の変わり目はこうやって風邪を引く。

    この頃、休日は公民館の学習スペースで勉強をしている。利用者の大半は高校生と思われる。わたしも大学受験期に1回だけ利用したことがある。受験生にまじって、電卓をパチパチたたく28歳。前の席に座る少年のカバンから、数研出版のチャート式がのぞいていた。

    チャート式は高校数学の参考書で、難易度別で色が分かれている(赤>青>黄>白)。高校時代、数学で挫折するきっかけになった青チャート。公立進学校(笑)であったために、不幸にも自分のレベルに合っていない青を手にしてしまった。

    中学校では特に苦労しなかったのに、高校数学で最初からつまずき、数Ⅱ・Bで完全に挫折した。宿題で青チャートが出される。一生懸命解こうとするものの、序盤でつまずく。答えと解説を見ても理解できない。かといって、答えを丸写しで提出しても意味が無いし、先生にもすぐバレる。解けない。解けないからやりたくない。でも宿題はやらなければならない……。そこで真面目なわたしは、真面目さゆえに学校を休んだ。宿題をしなくていい合法的な理由を手に入れた。アホだ。「適当に手を抜いてうまくやれよ」と当時のわたしに言ってやりたい。おかげで出席日数が足りなくなり、期末に補習を受けてなんとか進級した。三者面談のために、何度か親に学校まで来てもらった。前後の文脈ははっきり覚えていないが、化学の先生から「お前がいなくても世界は回り続ける」と言われて安心した記憶がある。言葉だけをみると酷い言い方に聞こえなくもないが、当時のわたしは「気負わず気楽にやればいい」というメッセージだと受け取った。その帰りの車の中で、父と一緒に東日本大震災発生の速報と津波の映像を見た。

    クラスが文系理系に分かれる2年生への進級と同時に、数学を捨てる決心をした。つまり、国公立大学は選択肢から消えた。2年生で私立文系一本に絞る生徒は少数で劣等感もあったが、残りの2年間は気楽に過ごせた。大学もわりと楽しい4年間を過ごせたので、よかったと思う。

    お腹がすいたので公民館を出た。駐輪場に並ぶ自転車の中に、母校の駐輪ステッカーを見つける。「勉強頑張れよ~」と心の中でゆるいエールを送った。喫茶店ブレンドコーヒーとガトーショコラを注文。フォークに刺した最後のひとくちで、お皿に残った生クリームを微塵も残さぬようさらえる。カレーやシチューでも同じことをしている。

    そこは1年ほど通ってる喫茶店だが、初めて店主さんに話しかけてみた。最近、ひとりでバーに行くようになり、お店の人と話す楽しさを知った。そういう場所を少しずつ増やしていきたい。

 

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コーヒーコンプレックス

 誰に言われたわけでもないのに、喫茶店でコーヒーを頼まないのはダサいと思っちゃってる。そして、わたしはダサい側の人間である。

    甘い物と一緒なら飲めるけど、コーヒー単体だと口の中が苦味でいっぱいになるし、胃がもちょもちょしてしまう。どうもカフェインが得意じゃない体質っぽい。喫茶店のカウンターで、コーヒーサイフォンを目の前にしながら紅茶を注文することに、必要のない恥ずかしさと申し訳なさを感じる。メニューの見開き1ページを様々なコーヒーの銘柄で埋めているのに、たった2文字の「紅茶」を注文することが、我が舌の未熟さを店主に伝えているような気持ち。まったく、自意識が過剰である。

 去年の秋(この時)、喫茶店で気が大きくなって注文したコーヒーがおいしくて、職場でもインスタントコーヒーを飲むようになったが、1週間でやめた。紙コップに適当に作ったインスタントコーヒーは、喫茶店で飲んだものと違ったからだ。ああ、コーヒーってアツアツじゃないとおいしくない飲み物なんだ……いや、淹れたてアツアツのコーヒーをおいしいと感じたのは、単に熱さで苦味の感度が鈍ったせいか?当方、猫舌なんだが……。カフェインによる集中力アップも期待していたが、全然効果を感じられなかった。インスタントコーヒーを止めたと同時に、頭痛が数日続いた。その時は「よう分からんけど偏頭痛続いてんな~Why?」くらいにしか思っていなかったが、あれはカフェインの離脱症状だったと思う。

 先週末、たまたま通りかかったKALDIでコーヒー豆半額セールをやっていた。お得だからと本来要らないものまで買いたくなる性分だが、さすがに飲めないコーヒーを買おうとは思わずただ眺めていた。添えられた説明文から味のイメージは全くわかないが、ショーケースに色んな種類の豆が並ぶ様にテンションはあがる。コーヒーが飲めたら、もっとうきうきするだろうなぁ。

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リアクション芸人

7/27放送『プロフェッショナル仕事の流儀  出川哲朗という道 〜リアクション芸人・出川哲朗〜』

    番組冒頭で自らの肩書きを問われた出川さんが「自分は芸人じゃない。芸人っていうのは、舞台に立って漫才やコントをやる人たちのこと。自分はリアクション芸人」(要約)と話していたのが印象的だった。舞台でネタを披露するのではなく、最初からテレビ番組で活躍する芸人。たしかに、芸人と言われて浮かぶイメージとは違う。言われてみると、出川さんと同じタイプの芸人は他にパッと思いつかない。

    出川さんがリアクション芸人としての地位を確立させている凄さは理解できる。わたしもリアクション芸で笑うことはたまにある。ただ、そのリアクションを引き出すための「ドッキリ」が嫌いで、進んで見ることはない。

    落とし穴は痛そうでかわいそうやなと思うし、鼻ザリガニは何でそんなことする必要があるのか分からない。リアクションを引き出す装置に到達するまでの設定に無理があると、もう受け付けないのだ。ザリガニに鼻を挟まれることが自然に見えるシナリオなんてこの世にあるか?