豆腐根性

はたらくくるま @tfkjay

記憶の断片

    なんとなく覚えている記憶の断片みたいなものに愛おしさを感じる。

    先週、喫茶店で茶をしばきながら、話の流れで家族のことをしゃべった。ちょうど近くに父方の実家跡地があったので、なんとなく歩いて向かった。家は祖父母が亡くなってまもなく取り壊し、土地を近くのお寺さんに売ったと聞いていた。20年振りだ。たしかここだったとたどり着いた場所は駐車場になっていた。想像よりも奥行きがある。実家のリビングに続く和室には滅多に入らなかったけど、さらにその奥には庭があったのかもしれない。

    祖父母はわたしが小学校にあがる前に亡くなった。当時のことは断片的な記憶しかないし、祖父母のことを特段好きでも嫌いでもなかった。お通夜で広い和室に置かれた座卓を囲む親戚の横で、細いビンのオレンジジュースを飲んだことを覚えている。特別な日にしかジュースが出てこない家庭だったので、無邪気に喜んでいたことと思う。ただ、映像にジュースを飲む自分自身の姿があるので、実際の様子と想像がごっちゃになっている気もする。お通夜が終わって駐車場に向かって歩いてると、誰かが「あんまり分かってないんやろな」と言ったのが聞こえた。おっしゃる通りだ。それから少し経ったある日、洗髪する母親を眺めながらお風呂につかっていると、急に「死」が怖くなりバレないように泣いた。あの時、生まれて初めて「死」について考えた。あれから幸いにも身近な人を失わずにここまで来た。しかし、いずれは訪れる誰かの死に直面した時、どう受け止めてどう感じるのだろうか。怖くて想像できない。

    実家跡地の道路を挟んだ向かいに自動車整備会社がある。祖父母の家に遊びに行くと、その建物の斜面を登ったり降りたりして遊んだことは覚えている。コンクリートの地べたに円形のくぼみが均等に並ぶ。その模様がやけに記憶に残っていた。ここは全く変わってない。そのことに少し嬉しさを覚えた。

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