豆腐根性

はたらくくるま @tfkjay

記憶の断片

    なんとなく覚えている記憶の断片みたいなものに愛おしさを感じる。

    先週、喫茶店で茶をしばきながら、話の流れで家族のことをしゃべった。ちょうど近くに父方の実家跡地があったので、なんとなく歩いて向かった。家は祖父母が亡くなってまもなく取り壊し、土地を近くのお寺さんに売ったと聞いていた。20年振りだ。たしかここだったとたどり着いた場所は駐車場になっていた。想像よりも奥行きがある。実家のリビングに続く和室には滅多に入らなかったけど、さらにその奥には庭があったのかもしれない。

    祖父母はわたしが小学校にあがる前に亡くなった。当時のことは断片的な記憶しかないし、祖父母のことを特段好きでも嫌いでもなかった。お通夜で広い和室に置かれた座卓を囲む親戚の横で、細いビンのオレンジジュースを飲んだことを覚えている。特別な日にしかジュースが出てこない家庭だったので、無邪気に喜んでいたことと思う。ただ、映像にジュースを飲む自分自身の姿があるので、実際の様子と想像がごっちゃになっている気もする。お通夜が終わって駐車場に向かって歩いてると、誰かが「あんまり分かってないんやろな」と言ったのが聞こえた。おっしゃる通りだ。それから少し経ったある日、洗髪する母親を眺めながらお風呂につかっていると、急に「死」が怖くなりバレないように泣いた。あの時、生まれて初めて「死」について考えた。あれから幸いにも身近な人を失わずにここまで来た。しかし、いずれは訪れる誰かの死に直面した時、どう受け止めてどう感じるのだろうか。怖くて想像できない。

    実家跡地の道路を挟んだ向かいに自動車整備会社がある。祖父母の家に遊びに行くと、その建物の斜面を登ったり降りたりして遊んだことは覚えている。コンクリートの地べたに円形のくぼみが均等に並ぶ。その模様がやけに記憶に残っていた。ここは全く変わってない。そのことに少し嬉しさを覚えた。

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37百万円

    桁区切りが苦手だ。職場の会議で偉い人が言った「さんぜんななひゃくまんえんのくろじ」を「3.7千万円の黒字」と議事録に書いたら、赤い下線を引っ張って「37百万円  普通は千か百で区切ります」と上司に書かれて返ってきた。事務用品の安い赤ペンの文字を見て、先月も全く同じように指摘されたことを思い出した。千で区切ってるやんと思ったけど、小数点を使わないように表記しろってことやったんか。腑に落ちてないから来月も間違えちゃいそう。桁区切りって難しい。100,000円を100万円と読み間違えてしまう。今まで万、億、兆とゼロ4つごとに区切って数字を見てきたせいだ。桁区切りのカンマはゼロ3つごとだからズレる。ミリオンとかビリオンとかもゼロ3つごとだから同じ。何で統一してくれへんかったんや。大学時代、簿記の勉強を始めた時にカンマで桁を区切って数字を書くことを覚えた。問題文で与えられた数字を電卓に打つとき、頭の中で「10万」だと思わず「100,000」という数字の絵面をそのまま電卓に打つ。正直、10万以上になると瞬時に正確に判断できる自信がない。

    昔、Kis-My-Ft2にハマってた頃、彼らが表紙を飾ったananを買った。読んでいると、ページの端っこに掲載された衣装の値段にびっくりした。玉森のコートだけ数十万円で、他のメンバーは1桁少なかった。ただの誤植だったのか、キスマイメンバー間格差の表れだったのかは分からないままだ。

刈り上げ

    尊敬できる同性の先輩が欲しかった。(一般職と総合職を区別して話すのもイヤなんだけど、)一般職の先輩方はいつも可愛がってくださるし好きなんだけど、みんな親の一回り下くらいの年齢だ。総合職で唯一の先輩が理想のそれではなかったことに、いつまでも腹を立てている。傍から見たらくだらないことで何を騒いどんねんと思うだろう。わたしもそう思う。そんなことに心をとらわれて数年になる。

    同部署の彼女は、「くるまの面倒を見るために使いなさい」と会社から貰った手当6万円をネコババするような人間だった。見かねた上司に言及されると、「義務では無いですよね?」と言い放ったと聞いた。マジもんのあたおかで笑ってしまった。あんなの勝てないよ。昨年末、彼女の別支店への異動が決まった。今まで仕事での関わりがなかったのに、業務引継ぎが始まって毎日接するようになると、すぐに苛立ちゲージがパンパンになった。送別会諸々のお金を出すのが嫌でゴネたら、「大人なんだから最後は気持ちよく送り出そうね」と上司になだめられた。大人なんだからもっと上手に説得しろや。部署からのプレゼント代はわたし抜きで計算して買った。舐めるな、こっちはやる時はやる人間やぞ。あんだけ目の前でゴネたのに、よくわたしに買いに行かせたな。最後の出社の日もヘラヘラしながら「よいお年を~」とだけ言って別れた。一昨日、引継ぎできなかった業務について確認のメッセージをしぶしぶ送ると、質問文に対して的を得ない回答が一言だけ返ってきた。なんだコイツ、とモニターにメンチを切ったが、これまでのわたしの態度がめちゃくちゃ悪かったので仕方ない。願わくば、二度と同じ支店になりたくない。

   いつもおだやかな人間として過ごしている(つもり)。何か腹が立つ出来事があっても、こちらに少しでも非がある場合は、自分の未熟さを恥じて決して感情的にならないよう努めている。協調性を重んじ、争いは好まず、平和を愛する人間だ。しかし、相手が100%悪いと判断した途端、死ぬほど腹が立って情緒が暴れまわってしまう。ついでに他の案件で溜め込んだ苛立ちも一緒にぶつけるので、必要以上に感情的になる。物にあたって発散するタイプじゃないけど、ストレスがピークになった時は終業後に更衣室でわんわん泣いて、ロッカーを殴ってみたりした。心から殴ったわけではない。物にあたることで怒りを発散できるのか試してみたかった。普段は、怒りの大きさを示すため、実際に殴るわけないのに「殴ってやろうかと思った」と口で言う人間をアホだと思っている。ロッカーを凹ますくらいのイメージで拳をぶつけたけど、へっぽこパンチでは到底かなわず。握り拳のぼこぼこした部分が赤くなって、皮が剥けた。帰りに自転車をこぐと、冷たい風がしみて痛かった。もう二度と殴らない。

 

    先週、生まれて初めて髪を刈り上げた。舐めとんのか?舐めんなよ!という威嚇を目的とした刈り上げである。新しい業務を担当するにあたり、気合いを入れるためでもある。メロスには仕事が分からぬ。けれども舐められに対しては、人一倍敏感であった……。初めてなので、とりあえずサイドを少しだけ刈ってもらったものの、翌朝には物足りなさが確信に変わった。もっとイケる。この調子だと、まちゃまちゃみたいになっちゃうかもしれないので、誰か止めてほしい。

ふりそで

 正月明け一発目の週末を3連休にしてくれる成人の日、とてもよくできていると思う。家にいてもやることが無いので、昼食を済ませてから駅前までお散歩した。移動中はラジオを聴くことが多い。最近は「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」を追っている。川北さんのボケに翻弄されるガクさんの様が好きだ。

 駅周辺でスタバのカップを持ってうろうろする新成人グループを何組か見た。わたし自身は、成人式にもそれに付随する同窓会にも参加しなかった。当時は「バイト先でお着物を着ているから振袖に興味がない」「本当に会いたい友達にはいつでも会える」と周囲に話したような気がする。これは100%本心ではなく、振袖に関しては着たい気持ちが心の隅っこにいた。しかし、振袖レンタル業者からのDMを見た親から、「成人式のためによくこんな大金出すね~あんた別に行かないでしょ?」と言われた時に黙って蓋をした。イベントごとにあまり興味が無い両親だ。一人暮らしをさせてもらってる私立文系の身で、お金を出してと言えなかった。ただ、着たかったけど着れなかったで終わるとかわいそうだから、最初から興味がなかったことにした。女子にとって、振袖を着ずに参加する成人式なんて意味ないだろうと20歳のわたしは頑なだった。実際、フェイスブックを見ると、女子で振袖以外の格好をしている地元の知り合いは見なかった。華やかな振袖姿の同級生のなかで、みじめな思いをするのは嫌だ。かといって、費用を自分で工面するほどの情熱もない。その程度だった。そのくせに、あの時の気持ちを嚙み砕くのにえらく時間をかけてしまった。

 7年が経った今、もう一度あの時に戻れたとしても振袖を着たとは思えない。大金かけて振袖を着たって、成人式の写真を見るたびに着物のチョイスやメイクすべてに文句を言っていると思う。大学の卒業式では袴を着せてもらったが、写真にうつる自分の輪郭がもたついてるわ眉毛が変だわで恥ずかしい。めっちゃいい笑顔してるけどね!あれよりさらに野暮ったい20歳に振袖を着せたら、もっと不満が出てただろう。何十万もかけて、おべべに着られた芋ができあがってもな…。未来のわたしが振り返っても良かったと思えるような写真を撮れるコンディションを常に維持せねばと気を引き締める。

 非日常的な姿で写真を撮ることへの憧れは、まだ昇華できていない。就活の証明写真がお金を払って人に写真を撮ってもらった唯一の経験だ。直近で起こりうる、ちゃんとした写真を撮るような人生の節目イベントがおそらく結婚だけど、特に予定は立ってない。写真を撮るために結婚するのも変な話だし、自分で写真を撮りにいくのもアリかも。縁起でもないけど、自分の身に何かあった時の遺影にも使えるような。作家の雨宮まみさんが、40歳の誕生日にちょっとしたパーティーを開いた際に、プロフィール写真を資生堂のフォトスタジオで撮影した話を思い出す。あんな素敵な写真が撮れたら楽しそう。雨宮まみさんが亡くなってもう5年も経った。

年賀状

    毎年、1人の友人に年賀状を送っている。毎年書くと決めているのに、年賀状を買いに行くのはいつも年末ギリギリ。小さな支店は閉まっているので、今日は家から少し離れたところにある大きな郵便局まで散歩した。道中で、近所の電器屋さんのシャッターに貼られた謹賀新年のポスターに目が止まる。新年の挨拶文の上からガムテープを貼り付け、閉店のお知らせがマジックで書かれていた。年末の寂しさにあてられて、普段はただ通り過ぎるだけの町の電器屋さんのことをぼんやり考えた。

    彼女とは、中学時代にやっていた個人ブログで知り合った。直接会ったことはない。だが、今もゆるくつながり続けている。お互いの近況を知るツールはTwitterと年賀状。10年以上の付き合いの間に彼女は結婚し、二児の母となった。年賀状にプリントされた童たちの写真を見ると、時の流れを感じて不思議な気持ちになる。

    年賀状は手書きがモットー。絵を描くことはわりと好きな方だ。年賀状を描く時間を楽しんでいる。今年もかわいく描けて満足だ。悪くないだろう。

    あっという間に大晦日。今日の日記をもって、月イチ更新目標達成を宣言させていただきます。キョン!来年こそは正真正銘の月イチ更新をクリアするわよ!

香水

    生まれて初めて香水を買った。正確にはプレゼントしてもらった。

    今までも香水に興味を持つ機会は何度かあったが、いくつかの理由で避けていた。まず、アレは「イイ女」が使うモノで、わたしはその「イイ女」ではないと思っていること。「イイ女」は泉里香さんのイメージ。泉里香さんは残業帰宅即飯即寝の限界OLとは程遠い。あと、ちゃんとした香水って値段が高いこと。飽きた時の心理的ダメージはモノの値段に比例する。そして、そのちゃんとした香水というものは、容器が瓶や陶器だったりするので処分が面倒くさそうということ。

    欲しいものがあっても、処分する時のことを考えて断念してきた経験がたくさんある。最近だと、NHKの「駅ピアノ」という番組を見てピアノに挑戦したくなったが、電子ピアノの処分が面倒くさそうだなと思い購入にはいたらず。おそらく粗大ゴミで捨てることになるだろう。手間がどれだけかかるか具体的に調べたわけでもない。面倒くさいかはやってみないと分からないのに、いつも想像上の面倒くさそうに負ける。

    プレゼントしてもらった日の夜、さっそく寝る前に香水をつけた。翌朝目覚めると、いつもと違って匂いがする。たのしい。しかし、お店で感じた匂いと違う気がする。よく知った、生活感のある匂いのような。なんだコレは…ラストノートってやつか…?と考えて気づいた。昨晩お風呂に入れたバスクリンの薬っぽさと柑橘が混じったような匂いが、顔にかかった寝起きボサボサ髪から漂ってる。よかった。安心した。バスクリンだっていい匂いだけど。

    内腿に1プッシュして家を出る。香水をつけると気分がアガる。すばらしい。職場で小さなイライラを覚えても、「でもわたしイイ女の匂いするからなぁ」と心に余裕を持てる。イイ女だから香水をつけているのではなく、香水をつけるとイイ女になれるのね。トイレでズボンを下ろすと、いい匂いがフワッと鼻腔に入る。その度に、お店で香水を選んでいる時のワクワクとドキドキを思い出す。新しい習慣が増えた。

いのちはうつくしい

    先週、小さいサボテンを買った。自分を頼ってくれるいのちが欲しかった。いのちはホームセンターで、「サボテン」とだけ書いた名札を差して売られていた。サボテンは、休眠中の冬は1ヶ月に1回の水やりで生きていけるそうだ。見た目通りの強さ。世話が難しくなさそうだから、フォルムが気に入ったものを1つ選んでレジに持っていった。丸っこくて手の平ほどの大きさで、400円もしない。あとで調べると、澄心丸(ちょうしんまる)という種類っぽいことが分かった。春には花が咲くらしい。毎朝家を出る前に、日光があたる窓辺にサボテンを移動させて、帰宅したら机に戻す。仕事中でも、なんとなくサボテンのことを考えてる時がある。

    わたしは自分の自転車に名前をつける女。もちろん植物にだって名付けたい。

    ほんとは猫とか金魚を飼うのが理想だった。でも、お世話の手間やコスト、飼い主の社会的責任を考えて植物・サボテンにしたという経緯がある。恋人に話したら、生命倫理的にどうなん?と問われて何も言えなかった。でもでも、それを考えずに動物を飼って酷い目に合わせてしまうよりは全然よくない?正直、死なせてしまった時の罪悪感の大小も比較したけど、だからって枯れてもいいやとは思ってないし…。サボテンだって立派な命であることを自分に日々刻むために、「いのち」と名付けた。

    昨日は、いのちに初めて水をやった。天気がよかったので、日中はベランダに出していた。日が落ちる前に部屋の中に取り込むと、水を吸った分だけ鉢が重くなっていることに気づいた。いのち。大切にするね。