豆腐根性

はたらくくるま @tfkjay

恐怖!うどんじゅるじゅるおじさん

    ワケは分からないけど、なぜか記憶に残っている作品がある。

    まだ1人でお留守番ができない未就学児を、母はどこへ行くにも連れていった。当時、母が通っていた美容院も例に漏れず、だ。何度か行ったはずだが、店内の装飾も、どれくらいの時間を過ごしたかも全く覚えていない。唯一覚えているのは、待合スペースに置かれていた『ねこぢるうどん』だけだ。他にどんな本があったかも記憶にない。

    絵本と漫画の区別もつかない年齢だ。表紙とタイトルから猫が主人公の絵本だと思って、手に取ったのかもしれない。もちろんストーリーは理解していなかった。文字が読めていたかも危うい。ただ強烈に残っているのが、川の中で、虫のわいた袋うどんをじゅるじゅる食べるおじさんが描かれたページだ。気味が悪い・怖いの一言では片付けられないような、言語化できない複雑な気持ち。困惑。無邪気に「何これ?」と周囲に尋ねることもできただろうに、そうはしなかった。幼心にも、コレに興味を持っていると大人に悟られてはいけないと感じたのかもしれない。意味は分からないけれど、とにかくよくないモノを見ている。でも不思議と見ていたい。こんな矛盾した気持ちほど、忘れられない。

    Amazonプライムビデオで『私立探偵濱マイク』の配信が始まった。濱マイクも、幼い頃にワケも分からず衝撃を受けた作品のひとつだ。親が視聴している横で、なんとなく見ていただけなのに、ずっと頭に残っている。子どもの自分には理解できないけど、大人になったら面白さが理解できそうな匂いは感じた。鮮明に残っているのは、トマトをヒールでぐちゃぐちゃに踏み潰す映像。覚えているというか、忘れられないというか。今なら、あれがフードクラッシュというジャンルの映像だと分かる。8歳のわたしを、見てはイケナイものを見たような気持ちにさせた。無意識に、性的なものを感じ取ったのかもしれない。あれから20年。これを機に、もう一度視聴してみようと思う。あの1シーンで覚えた引っ掛かりは間違っておらず、今なら面白さを理解できる自信がある。

    言語化できない感情は、今も変わらず色んな形をして生まれる。それがネガティブなものであるほど苦しい。人生の3分の1を通過したくらいで、全部分かったつもりになるなよ甘いよって、わたしがわたしの肩に手を置いて困った笑いを浮かべている。

心配ごと

    先月末から体調を崩している。まだ本調子に戻っていない。食欲が戻らない。体重が4キロ減った。ダイエットできてラッキー、とは思えない。なんとなく手足に力が入らない。体の輪郭がぼやけている。「この調子やと無くなってまいますわ~」と職場のマブおじに軽口を叩く。内心は心配でいっぱい。

    他にも心配事がある。自分が死んだ後のこと。そんなこと、知りようがないのは分かっている。でも、親しい人には、ぜひわたしのお葬式に来てほしい。どうしても来てほしい。でも、わたしからは連絡できない。確実に来てもらうために、親しい人の連絡先リストを作って、親に渡しておくことを思いついた。でも、そんなことしたら、変な心配をかけてしまうに違いない。自分より先に子が死ぬなんて、考えたくもないだろう。はて、困った。他にいい手段があったら、教えてほしい。スタンダードに遺書がいいのかな。遺影は盛れてる写真を使ってほしい。10年おきに、ちゃんとした所で写真を撮っておこうかな。みんなも自分の葬式に親しい人を呼びたくない?わたしは、親しい人のお葬式に行きたい。お葬式って、残された人たちのためにあるらしい。

    ニュースで流れる嫌な事件。まさか、こんなところで死ぬとは思ってなかっただろう。飛び込まずに済むなら、そうしたかっただろう。胸がぐぐぐうと重くなる。自分の生活に直接関わりのない人の死に、動揺してしまう。死んだら全部ぜんぶ終わり。

    街で遭遇する救急車の音。どうか無事でありますように、と心の中で両手を握りしめる。いつからそんな風に祈るようになったのかは、覚えていない。

ヤクルト1000000000

    Twitterでヤクルト1000が睡眠の質爆上がりドリンクだと知る。1本150円。高いな。睡眠の質に困ってもいない。そういえば、20年程前に亡くなった祖父もヤクルトを飲んでいた。同じマンションに住む祖父の家に遊びに行くと、たまに飲ませてくれるのが楽しみだった。祖父がキッカケで乳酸菌飲料の味を好むようになったと思う。

    あの味が恋しくなったので、スーパーで普通の(普通の?)ヤクルト10本入りを買って帰る。たしか300円もしなかった。値段で換算すると、これを1日5本飲めばヤクルト1000と同様の効果を得られることになる。それはさすがに飲みすぎなので、1日2本に留めておく。原材料名を見ると、乳酸菌シロタ株が200億個も入っているという。数字がデカすぎて笑ってしまった。こんなんなんぼあってもいいですからね。普通のヤクルトでそれだけ入っているなら、ヤクルト1000には兆単位の乳酸菌が入っているに違いない。

    4月。春。コートが邪魔だね。春だね。クマバチが飛んでるね。春だね。ウグイスが鳴いてるね。春だね。生活の中にあらわれる春に逐一指をさして「春だね」と言いたくなる。春ってそんな季節だ。

    いたるところで色んな花が咲いている。自室のサボテン。お庭のバラ。向かいの家の芝桜。近所の工場のツツジ。4月頭にはお花見をした。しとしと雨の中、桜の下でレジャーシートを広げて傘をさしながらパンを食べた。ほとんど意地だ。帰りの電車で西の方へ戻る間に空はどんどん晴れてきて、車窓から見える桜がとても綺麗だった。花の美しさに心が弾むようになったのは、ここ最近のことだ。歳をとるにつれ、自然に対する感度が高まるものなのか。

    いちいち指をさして春を確認するのは、春があっという間に終わってしまうからだと思う。連休が終わる頃には「もう夏やん」と、だるそうな顔をしているだろう。クリーニングに持ち込む冬服をまとめはじめた。コタツはまだしまえずにいる。

損得に振り回される

 久々の平日休み。昼飯を済ませ、自転車に乗り家を出る。風は強いが、屋内だとアウターが邪魔になるような暖かさ。貴重な休みを有意義な一日にすべく、買い物の動線を念入りに計画した。今日のメインはスタバのステンレスボトル、つまり水筒。昨晩たまたまSNSで見かけた春の新作がとってもかわいかったのだ。毎日職場に持っていく水筒がかわいいと、気分がアガるだろうなぁと思い購入を決める。水筒のデザインは、水筒としての機能に全く影響しないことは承知している。でも全部が全部、実用性だけじゃないよね。たまにはそういう買い物をしてもいいんじゃない?と自分を許せるようになった。まだポケットがついていないボトムスは許容できずにいるが。

 まず書店に寄り、「現代思想入門」と「いつもの言葉を哲学する」を買った。どちらを先に読むか考えながらスタバへ足を運ぶ。家を出る時点で、「ホットのチャイティーラテ、トールで無脂肪ミルクに変更」まで決めていた。レジ前でモタモタするのはスマートではない。スタバであればなおさらだ。練習どおり、目当ての水筒を掴みレジへ行き一緒にドリンクを注文。すると、水筒にドリンク1杯無料チケットがついているというではないか。何それ聞いてないんだけど。嬉しい想定外だ。迷わずその場で使う旨を伝えると、1,000円以内であれば無料だと説明された。ちょっと待ってくれ。緊急事態。やばい、またとない機会だ。上限額ギリギリをせめないと損するぞ。損を恐れる思考、あらためて言葉にすると悲しい。メニュー表に目を走らせ値段の高いものを探すがどれもピンと来ない。こういう時、損したくない気持ちを最優先し、望んでいないものを選んでも後悔することはよく知っている。せめてと思い、おすすめカスタマイズを尋ね、それをそのままオーダーした。できあがったのはベンティ―サイズのチャイティーラテ、エスプレッソショット・ホイップ追加・無脂肪乳。しめて620円。苦くしたいのか甘くしたいのか、カロリーを気にしてるのか気にしてないのかよく分からない組み合わせ。買った水筒と背の高さが同じだ。店内で飲みきれないことは明らかなので、そのまま家に持って帰ることにした。こんなもん持ったままウロウロできない。店内で1時間ほど本を読み、こまごました買い物を済ませて帰宅するプランがすべて御破算だ。一刻も早く帰らねば。ホットがホットであるうちに。駐輪場へ速足で向かいながら、「なんでこんなことなんねん」とひとりごつ。ドリンクがこぼれぬよう慎重に自転車を漕ぐ。途中、横断歩道で後方から曲がってきた教習車にぶつかりかけた時は「うそやろ」と大きめの声がでた。わたしが停止するだろうと踏んでの強気な右折。だろう運転はアカン。運転する男性と目が合ったが、相手もびっくりした顔をしていた。教官よ、補助ブレーキ踏まへんならせめて注意しといてくれよな。

 ようやく家に着いた頃には、もりもりのホイップはすっかり溶けてなくなっており、ぬるくてデカい甘い液体と化していた。こんなはずではなかった。想定外の事態にうまく対応できなかったことに、すっかり落ち込んでしまった。損したくない気持ちに振り回され、コントロールを失った。いまだに自分で自分の舵を取れずにいる。

    昨日は塩屋を歩いた。先月放送されたNHK BSプレミアム岩合光昭の世界ネコ歩き」の神戸の回に出ていた、塩屋の「なんだす」という外猫に会いたかった。なんだすのお家があるお豆腐屋さんの店先を3回ほど通ったが、今回は残念ながら会えず。

    住んでいる人の暮らしを自然と想像してしまうような街だった。勾配の急な坂道。どこからが私有地なのか分からないほっそい路地。八百屋、精肉店、魚屋、ミニコープ。旧グッゲンハイム邸と同じきれいな緑みの青があしらわれた家がとても素敵だった。浅葱色よりも緑が強く、色彩図鑑で調べると納戸色が一番近い。こんなかわいいお家に住めたら、家に帰るのが楽しいだろう。適当に歩いていると、いたるところでお年寄りが立ち話をしている。お昼に入った大衆食堂でも、店に入ってきたお客さんが店内にいた知り合いに声をかけていた。街の人のコミュニケーション。自分の住む地域では見ない光景なので新鮮だ。オシャレなカフェで休憩する。2階の窓際のソファー席から道行く人の様子がよく見える。いつまでもぼーっと眺めていられる。特製シロップのジンジャーエールはスパイスの味がして、ジンジャーエールなのにチャイを飲んでいるような不思議なおいしさだった。

    海まで歩いた。そこで生まれて初めて煙草を吸った。銘柄はピース。ガラの悪いヤンキーをイメージして、親指と人差し指でつまんで吸った。真似ごとに過ぎない。おいしさはよく分からなかった。分からないことが分かった。海の浅いところで、何かの稚魚の群れがいくつも見えた。あまりにいい天気で、陽射しに眉間に皺を寄せてしまう。あっという間に春。

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ジオラマ

    電車に乗ってぼーっと外を眺めるのがすき。付き合いのある友達はみな東の方の街にいるので、よく電車にのる。塀の角っこでひなたぼっこしている猫。赤子を抱えて電車に手を振るお母さん。意外とよく見える。かわいいフォルムの黄色の車を見つけて、自分の車を持つならこういう車がいいなと思った。まあペーパードライバーなんだけど。ジオラマの中にいそうな、おもちゃみたいな車だった。いま自分の乗ってる電車もジオラマの一部かも。そう考えると、空の上のでっかい何かから視線を向けられているような気がしてくる。広い河川の上を渡る。突然、川の底からゴジラが現れたらどうしよう。もちろん川からゴジラは出てこないし、こんなところ襲っても仕方ない。やっぱビルがボーボーに生えてる東京じゃないとな、ゴジラも格好つかんよな。何週分か溜めていたお気に入りのポッドキャスト番組「ジェーン・スー堀井美香の『OVER THE SUN』」を再生する。

    昨日は久々に夜更かしして、ドラマ「大豆田とわ子と3人の元夫」を最終回まで観た。昔から映画やドラマに影響されやすいタチだ。台詞を受け取りすぎてしまうから元気な時に観ようと温存していた作品のひとつだった。その元気な時が一向に来ないので、エイヤと見始めた。今回のタイミングは悪くなかった。仕事を頑張ってるとわ子がすき。この気持ちは、学生時代のわたしだったら抱かなかったと思う。何事も頑張ってる人間は輝いてる。41歳の大豆田とわ子。TBS退社を発表した49歳の堀井美香さん。27歳のわたし。このところ、生き急ぎすぎかもと反省することがあった。いつ死ぬか分からんけど、調子がよければ80歳くらいまで生きるんだろう。となると、まだまだ先は長い。自分の選択を正解にしていくパワーが欲しい。